今回は先日書いたこちらのエントリの続きです。

 

lorenzo9241.hatenablog.com

 

知られていないことの恐ろしさについて。

前回のエントリにも書いたのだが、特に専門機関にいる人の無知は本当に恐ろしい。

じゃあ、こういった無知は一体何が原因で起こるのだろうか。

きちんと啓蒙することで多くの人が救われるわけだし、医療費もだいぶ削減される。ちょっとした努力で解決できそうな気がするし、経済的、社会的なインパクトもめちゃでかい気がする。

じゃあ、なんで正しい知識の啓蒙活動が積極的になされていないのか?

そもそも発信するほどに情報としてきちんとまとまっていない?

これは十分考えられますね。

例えばHIV性同一性障害などについてを思い起こしてください。これらの病気や障害は、昔は隠すもの、忌避すべきものと考えられてきました。

なぜならその原因や対策がわかっていなかったからです。

でも、今は(まだ多少の偏見は残っているにしろ)いっときに比べ社会的にオープンにすることができるようになりました。

なぜならそれらに対する十分な情報がまとまり、恐れるものではないと正式にわかったからです。そして、正しい知識が広く社会に啓蒙され、認知されたからです。

「ああ、これは恐れるものじゃないし、ありふれたものなんだ」と。

 

アルコール依存症も、まだ情報が足りないのでしょうか?

違うと思います。

少なくとも専門医でない西原さん、月乃さんが一般人向けの本を出版する事ができるくらいには情報が蓄積・体系化されています。

じゃあなにが原因か?

恐らくそれは「アルコール依存症に対する偏見」と「その偏見を抱いている人たちの社会的影響力」にあると思います。

つまりアルコール依存症に対する偏見を持っている世代が、正しい情報を発信する機関(公的機関や、マスコミなど)で未だに幅を利かせていることが大きな原因なのです。

 

例えばドラマや漫画、アニメでの、飲んだくれのいかにもアルコール依存症の人の描かれ方を思い描いてください。だらしのない、情けない男の象徴のような描かれ方がされていませんか?

・妻に暴力を振るい、なけなしのお金で酒を買い、四畳半の狭いアパートで呑んだくれるだめ夫。

・結果が出せず、チームに居場所がなくなり自暴自棄になり、居酒屋に入り浸るスポーツ選手。

こういった人たちは子どもたちに「ああはなってはいけない」大人としてしばしばフィクションの世界で描かれます。

そこから導き出される教訓は「努力をすることの大切さ」「諦めないことの大切さ」「我慢することの大切さ」といった、アルコール依存症とは全く関係のないものです。

 

だめな大人、なってはいけない大人の格好の事例としてアルコール依存症は扱われているのです。

あの西原さんですら、知識のないうちはアルコール依存症の夫に対し人間的に嫌悪感を抱いたのです。ましてや子どもたちや、学校教育は素晴らしいと考えている人たちにとって、そういう描き方をされたアルコール依存症の人がどのように捉えられるかは火を見るよりあきらかです。

 

そうではなく「アルコール依存症の恐ろしさ」「アルコール依存症への正しい対処法」そしてなにより「アルコール依存症は病気であり、本人の人間性とは何ら関係がない」ということこそ、きちんと教えるべきです。

 

じゃあなんでそういうふうに制度が変わらないかというと、これはぼくの想像なんだけど、その制度を作る側で力を持っている人たち(具体的には50代以降のおじさんですね)のアルコール依存症に対する正しい知識のなさが原因なんじゃないかなと。そんなものになるやつは、根性が足りないのだ!だらしがない!と若い頃から刷り込まれていて、もうそれが彼らの中での絶対的真実になっているのだ。

 

50過ぎた今更「いや、最新の研究によるとアルコール依存症ってのは病気なんですよ」って言われても「はあ?最近の若いもんはそうやってなんでも病気のせいにする」みたいなふうに捉えるんじゃないかと。

 

www.huffingtonpost.jp

 

この考え、まったく根拠が無いわけではなくてですね。

例えば上記ニュース。

残業時間の上限を100時間未満に抑えられましたよ!ってドヤ顔で言われても、残業100時間てとんでもないから!

ぼくは80時間くらいの残業が数ヶ月続いたことあるけど、それだけでもうかなりしんどいよ。肉体的にも精神的にも。家について「なにやってんだろ、俺?」って涙が溢れてくるよ?そもそも残業前提で業務が組まれてることがおかしくね?何のための定時だよ。

 

そこまでに帰らせろや!

 

てことでね、制度を決める権利のあるおいちゃんたちの頭の中は、日本は未だに高度経済成長期なんですよ。男は滅私奉公で仕事!女は家事!みたいな。

だから、彼らが色んな所の決定権を持っている間はアルコール依存症が市民権を持つことはない、というのがぼくの結論。

 

こういうところがね、なんかすごく嫌なんですよね。

 

これって結婚だとか、正社員がどうとか、私立学校へのお受験とか英語教育とかそういうのにも共通してることだと思います。

 

一気に解決するすべはなさそうです。

 

ぼくらが少しずつ社会の意識を変えていくしかない。そして、今決定権を持っている人たちが表舞台から退くのを気長に待つしかない。本当に大変だし、時間もかかる。当事者からすればやりきれないことだらけだろう。でも、本当にこの「社会に広く浸透している意識の問題」を変えるのは容易ではなさそう。

なんかタイトルと中身が全然噛み合っていない気がするけど、とりあえずこの件でぼくが言いたいことは全部吐き出しました。

やっぱりブログはいいですね。

オナニーよりもスッキリするわ。

西原理恵子月乃光司のおサケについてのまじめな話 アルコール依存症という病気