私だ。
あんちえいじゃー(@abcwriter1150)だ。

某界隈の某著名人がブログで紹介していた下記の本を読んでいる。

ぼくが敬愛する所長は、古典に読むべき価値はないというスタンスだが、ぼくはそうは思わない。

やはり時代を超えて読み継がれてきた本には、それ相応の力がある。

この本の書評はまたじっくりと考えを熟成させて書きたいと思うが、今回はこの本を読んで気になった「知識を得るための読書」と「理解を深めるための読書」の違いについてぼくなりに考えたことを書き記したいと思う。

今回は歴史書を具体例にとってみてみよう。毎回筋トレばかりだとまるで脳みそまで筋肉だと誤解されかねないからな!

そう、ぼくは歴史ブロガーでもあるのだ。

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「知識を得るための読書」とは?

まずは「知識を得るための読書」である。

歴史書で言うと例えば概説書や、教科書を読むことを指す。

この手の本は、通常編年体(※1)で書かれる。

(※1)あんえいじゃーによる解説。
編年体とは、出来事がおこった順番に沿って描かれた歴史書である。
具体的には「日本書紀」「水鏡」「ローマ建国史」「資治通鑑」などである。現代でいえば、山川出版社の世界各国史などをイメージしてもらえばいいだろう。

ちなみにこれは余談だが、山川出版社の世界各国史。実は10年位前に新版が発行されたのだが、ある国の歴史学者が原稿を全く提出せず、刊行が大幅に遅れたという逸話がある。誰だか知らないが、愛(アモーレ)の国を研究している人は、仕事よりも性愛の探求に忙しかったのだろう。

一応断っておくが、あくまで噂である。真実は藪の中というわけだ。

さて、読書。

知識を得るための読書とは、いわゆる教科書的な本を読むことであるというのがぼくの理解だ。

今まで知らなかった分野の知識を、本というパッケージを通して体系的に学ぶことは、知的好奇心を刺激してくれる非常に有意義な時間の使い方である。

知らなかったことを知ることで、世界が今までと変わって見えることは誰しもが経験があるだろう。

知識はやはり偉大なのである。

「理解を深めるための読書」とは?

続いて「理解を深め得るための読書」である。

ぼくの理解では、これは「知識を得るための読書」で身につけた新しい知識をより深いレベルで理解するための読書である。

つまり、「知識を得るための読書」の次のステージに当たる読書である。

これは歴史書で言うところの紀伝体(※2)や学術論文、歴史小説を読むことにあたる。

(※2)あんちえいじゃーによる解説。
紀伝体とは、人物に焦点を当てた歴史書である。
具体的には「史記」「大日本史」などがある。ちなみに紀伝体とは、東アジアにみられる歴史の著述方式である。

まあ、紀伝体なんていったところで、史記をしっかり読んだ人なんてほぼ皆無であろう(てか、ぼくも読んでないしね!)。

それよりも理解しやすいのは、歴史小説であろう。

例えばマキャベリ(マキアベッリについて)。

普通の人の彼に対するイメージは「君主論」というよくわからない本を書いた人、というものであろう。

この君主論は、当時群雄割拠時代であったイタリアにおいて頭一つ抜きん出たフィレンツェの支配者コジモ・デ・メディチに当てた良き支配者になるためハウツー本である。マキアベッリが理想としたのは「毒を盛る男」として当時のイタリアを震え上がらせていた「チェーザレ・ボルジア」である。

そしてマキアベッリであるが、実は歴史学の中において、重要な役割を果たした人物だと知っている人はどれくらいいるだろうか?

そんなマキアベッリ=「君主論」を書いた人というイメージを覆し、実は歴史学にとって重要な役割を果たした人だったのだ、というところまで知識を深めるための読書が、「理解を深めるための読書」である。

具体的にマキアベッリについて理解を深めるために最適な本は、下記の本である。

ぼくは大学生のときに読んだのだが、寝食を忘れむさぼり読んだのを覚えている。残念ながら麻雀と自分磨きは忘れられなかったが。

塩野七生先生といえば「ローマ人の物語」シリーズで有名だが、実は「ルネサンス著作集」も非常に素晴らしい。完成度でいったら上かもしれない。中でもこの「我が友マキアヴェッリ」は群を抜いて面白い。次点は「海の都の物語」かな?もちろん異論は認める。

こんな具合に理解を深めるための本とは、往々にして歴史小説で発行されている場合がほとんどだ(専門的な知識を、となると学術論文がそれに当たるが、マニアック&アカデミックすぎるので割愛)。

しかし中には、編年体でありながら歴史に対してより深い理解と洞察を与えてくれる本もある。

個人的に衝撃を受けたのは、やはり下記の2冊だ。

どちらも重厚長大な本であるが、割と本気で今を生きるすべての人におすすめしたいくらいの名著である。

ホント読んでみてよ!衝撃を受けるから。

そんなわけで「理解を深める読書」とは、自分の中にある知識をより深いレベルまで深化させ、世の中の真理を見通すために必要な脳の筋トレである、というのがぼくの理解である。

結局筋トレかYO!

おわりに

いかがだっただろうか?

ぼくが単に筋トレにしか興味のない脳筋野郎でないことはわかってもらえたと思う。

なぜ今更そんな弁解をしたかって?

すべてはモテるためである。

おしまい。